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ソウル編参加者レポートその2
ソウル編参加者レポートその2
韓国からのレポートです。
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日本との交流 その一回目
『小劇場ミュージカル』というタイトルでの出会い

 2007年8月25日、その日は我々と日本の学生らとの初顔合わせの日だった。共通の目的を持って外国人と会う事は初めてだったので非常にわくわくした体験であった。我々は25,26の二日間二つのミュージカルを観劇した後ディスカッションを行う日程だったが、実際互いを知るための時間としては短く、また名残惜しい時間であった。

出会い、今回のシンポジウムは文化の異なる二つの国が出会うとの点で非常に大きい意味があった。俺は自分の国―韓国―と日本において大きな差異はないだろうと思っていたのだが、事実はそうではなかった。その差異はまた文化、好み、社会においても著しいものだった。俺が日本の文化に関して接する事が出来るのは韓国に輸入されたコミックスとテレビに映る映像くらいしかないが、そこに写される日本の像は性的刺激が強くてまた暴力的なものだった。このような部分はたしかに人間の本性に近い部分であるが、またそれらが日本、日本人の像だと思い込んでしまったのも事実であった。日本の学生との話し合いで分かった事は、日本人は親しい関係の友人との間でも卑語を使ったりはしないとの事だったが、それが俺を非常に混乱させた。今まで俺の頭の中にあった日本というイメージとはあまりにもかけ離れていたからであった。韓国では友達の間で卑語などを使うのはそれで親密さをあらわす特殊の方法とも言える。そのような仲間と一緒にいると客観的でまた相対的なものから無条件的な関係に変化するのを感じ取るが、これは決して悪いものだと思えない。これでもっと素直に人間関係を深める事が出来るからである。だが、話す言葉すべてを卑語で賄うことではないのを理解してほしい。これは一種の独特な文化、もしくは遊戯と言った方が正しいかも知れないのである。文化の持つ力、俺は未だその国の文化はその国それ自体と同意語だと思っている。つまり、見えてくる文化がその国の真の姿であると考えている。
思惟を共有する事。ここソウルで観劇後の意見において日本と韓国の間で大きな相違点はなかった。だが観劇の際、言語などの伝達においては数多くの未熟点があり、指摘が多かった。この話を聞いて俺は将来の演劇の姿に関して考えた。「将来の演劇はどの国の人が観ても理解できるようなものでなければならない」と。最近において音楽と舞踊、演劇、映画などのジャンルの分け方がほぼ無意味になって行くのも将来の演劇に一歩近づく事ではなかろうか。その前に、文化の異なる二つの国が意見をともにする事それ自体が大きな進歩だと思うのである。
最後に、一日でも早く日本に行って彼らの文化を体で感じ、公演を観て、我らの演劇を彼らに感じさせたいと思う。
(ゾン・ウンゾン)

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